孤独死が嫌だから結婚するっておかしくない?
移転しました。
どーも。
孤独を愛する男、いぬがみです。
孤独死を恐れる人がけっこう多いみたいですね。
孤独死とは
孤独死(こどくし)とは主に一人暮らしの人が誰にも看取られること無く、当人の住居内などで生活中の突発的な疾病などによって死亡すること
(引用元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E6%AD%BB)
説明するまでもないけど、一応ね。
多くの人が具体的に嫌がっていること
こちらの記事では、孤独死の究極の問題は「死後」にあると述べています。
「自分の死後、すぐに発見されず何日も、何週間も、場合によっては何カ月も遺骸が放置されること」です。そう思いませんか?
遺骸が何日も何週間も放置され、腐敗し、液状になって畳や床にしみこんでいく。当然、強烈な臭いが発生します。
ハエが卵を産み付け、孵化してウジ虫になり、それが成虫となって大量のハエが発生する。
死んでしまえば何も分からず何も感じないとはいえ、そんな中に自分の遺骸が放置されるのを想像するのはゾッとするでしょう。
(引用元 https://thepage.jp/detail/20171030-00000006-wordleaf?page=1)
ちなみにこれは筆者の「意見」であり、アンケートをとったわけでも、客観的なデータがあるわけでもない。
だから、「死後の腐敗」を究極の問題と断定するにはちょっとムリがあるけど、まあ大体間違っていはいないと思う。
実際、孤独死を恐れる人は、たった独りで死ぬことよりも、誰にも発見されずに腐敗した自分の肉体を想像してゾッとしているのだろうと思う。
別によくねぇ?
個人的に、別に自分の肉体が腐ろうが液状になろうがどうでもよくない?って思っちゃいます。生きたままそんな姿になるのは絶対に嫌だけど、いや、あんた死んどるやんって話です。
僕はたぶん、ガンで死ぬことになると思っているけど、もし病院で死んだら、そのまま自分の肉体を病理解剖に回すことに決めている。
死んだ後いくら切り刻まれて痛くないだろうし、医学の発展に少しは役に立つならけっこうなことだ。
自分の死後の肉体は、割とどうでもいいという考えです。
それよりも、僕が死んだ後しょぼい墓を建てて、何年か一度に遺族がゾロゾロ集まって僕のろくでもない顔を思い出されるほうがよっぽどつらい。
バラバラに解剖してそのまま燃やしまい、僕の燃えカスをそこらへんの綺麗な原っぱに
蒔いてくれればそれで十分だ。まあ「病理解剖」だったら、必要な臓器を摘出したら体を縫合して遺族に返されるみたいだけど。
死者を懐かしく思い出して感傷に浸る必要はないのよ。僕(死者)のことを思い出しても何も得るものはない。
何回忌だとかでいちいち集まって坊主の退屈な話を聞く時間があるなら、その時間を読書や勉強に当てたほうがずっと有意義だ。
孤独(死)が嫌だから結婚する?
ここまで読んだあなたは、たぶん僕のことを「イタいわーこいつーwww」と思った事だろうし、自分でも自分がちょっとおかしいことは自覚しています。
ただ、孤独死を避けるために「誰でもいいから結婚すべき」っていう意見には納得できないし、その点についはおそらくあなたも共感していただけると思います。
いくら孤独死や、晩年を一人で過ごすのが嫌だとしても、そのために大して好きでも尊敬もできない人と結婚するのは、ちとおかしいでしょう。
明らかに死ぬ間際の数年よりも、結婚生活のほうが長いんだし。
その長い結婚生活を好きでもない人と過ごす方が、孤独死よりもよっぽど苦しいはず。
そもそもそういう打算的な結婚って、なんかすんごい冷めない?
例えば、結婚が決まった瞬間に会社辞める女性とか見ると、
「ああ、この人は会社辞めたいがために結婚したんだな」
と、冷めた気持ちになってしまう。
目の前の結婚相手ではなく、「将来が安定しそうだから」とか「孤独死が嫌だから」など、全く別の場所を考えて結婚する人って、「未来」ばっかり見て「今」を生きていない気がする。
まあこの辺の詳しい話はまた別の機会に。
ではまた。